よみもの

生きた証

Twitterについて

 

私は大勢の人にツイート見られるのがキツいから、FF数少なめの鍵垢で結構言いたいことを言ってる。そして非公開リストにたくさん見る人を入れて、そっちをメインでツイートを読んでる。なぜこういうスタイルになったかと言うと今までの経験からだ。

 

 

Twitter初めてやった大学生の頃はたくさんフォローして、たくさんフォロバもらっていた。フォロバしてもらえると自分が認められるような気がして嬉しかったし、現実世界でお友達もいない1人生活を過ごして自分にとってネットと言えど他者とコミュニケーションを取れるのは楽しかった。人間嫌いって言っても単にコミュニケーションを取るのは好きだし、その他の自分の嫌なところを話したり、気まずくなったりするのが嫌なだけなんだ。こうしてFF数はどんどん増えていき、最終的にフォローフォロワーどちらも100人ずつになっていた。その頃になると自分が何気なく呟いたことに空リプで文句言われたり(その人は嫌味を言うつもりでは無かったかもしれないが)、見てくれる人が面白いと思われなくてはいけないという無駄な強迫観念、自分がフォロワーにどう思われているかとかが気になって、現実世界と同じように人間が非常にめんどくさくなっていた。私はその頃、現実世界で人と関わらない分、Twitterではまともに人と相対しようという気になっていて、フォローしてくる人はほぼフォロバしていたし、あっちがいいねしてくれるんだから、こっちも向こうのツイートは全部読まなきゃいけないという気になっていた。そう思っていたから、リムブロも出来なかった。自分が興味ない相互フォロワーのゲームやアニメの実況を見たりするのも疲れた。色々端折るが、あるフォロワーが自分に向けた悪意ある空リプが嫌になってそのアカウントは消した。当たり前だけど、匿名でやってるネットのアカウントなんて消したら何も残らなかったし、あれだけ毎日何時間もTwitterに費やしたので、虚しかった。

 

 

 

以上の昔のアカウントのことからフォローされても、自分が興味ない人をフォローするのはやめた。嫌な人はちゃんとブロ解(ブロックした後にすぐブロック解除して、相互関係を解消すること)するようにした。思っていることを言いづらくなるから基本鍵垢にしてFF数を少なくした。正直自分のためにやっていて、他人のためにやっているわけでは無いのだから(人生全てに言えることだが)、自分の好きにすれば良いと思う。Twitterは大半の人にとってはただの遊びで自己満足なので。僕のフォロワーさんも僕のことをブロックしたいならそれで良いと思う。自分はよくブロ解して他人にやられるのは許せないっていうのはおかしいからね。まあ悲しくないと言えば嘘になるけど。どうでも良いけど、Twitterに限らず、ネットの関係についてはこういう考えが基本姿勢になった。

 

 

Twitterやってて思うことはやはり人間は全ての人に好かれることはできないということ。それぞれ一人ひとり違う人生を送ってきたし、好きなもの、嫌いなものも違う。ある人は自分が努力して乗り越えてきて、自分の人生は自分で切り開けると思っている。またある人は努力したが挫折したから、努力は意味無い、人生無理ゲーだと思っている。違う人間だから分かり合えないし、でもそれは仕方がないこと。お互いの価値観の違いを尊重して、みんな自分の人生を歩んで、できれば幸せになれば良いですね。