よみもの

生きた証

お勉強やり直し

 

本屋さんで高校の学習参考書を眺めてたら、数学をやり直したくなった。高校生、受験生の頃は数学全然出来なくて、理系なのに数3を捨ててた。受けた大学がその年たまたま簡単な数1Aや行列(今は高校範囲じゃないらしい)を出してくれた。問題のパターンを全部数え上げるなど姑息な手段を使って4割弱も(?)取れたから入試をパスしてしまった。大学の教養も難しい微積の授業は取らず、自分でも辛うじてできそうな線形代数(行列の発展バージョンみたいなやつ)の単位を取ってやりすごしたし、専門は数学殆ど使わない学科だったからなんとか卒業できた。

 

 

もう一回数学やり直して「自分は数学ある程度分かる人間なんだ」って思って自信持ちたい。でもそうなったら同時に「なんで高校生の時にもっと頑張れなかったんだろう」って考えて鬱になりそう。こう考えると自分のコンプを振り返ってそれを徹底的に克服するのと、自分のそのコンプに目を逸らして別のことに目を向けてそれを思いっきりやるというように、コンプへの向き合い方は2パターンあるんじゃないかと思った。一見、前者の方が自分にちゃんと向き合ってて良さそうってなるが、私の場合は別に今更数学がある程度できるようになってもまた受験するわけでもないし、お仕事でもほぼ使わないから自己満足に過ぎない。だったらお仕事で頻繁に使う英語や化学をやり直した方がよっぽど良いってなる。

 

 

皆さまは昔出来なかったことをもう一度勉強し直したいとかありますでしょうか?

 

気付いた

 

気付いてしまった

 

私は自分で自分を幸せにできない

 

好きな人を幸せにしたいし、それが私の幸せになる

 

今まで自分のために色々やってきたけど、もうこの自分のためには頑張れない

 

 

無理な可能性が圧倒的に高いのに、今から好きな人のために頑張れるだろうか?

 

人付き合いや身なりをよくして「まとも」になれるだろうか?

 

どうせキモがられて傷付くだけなんじゃないか?

 

 

でも残りの人生、好きな人のために生きて、尽くして、死にたいからやるしかない

 

もうこの嫌いな自分のために生きたくない

 

擬似体験と本質体験

 

皆さんは人生楽しいですか?

 

私は友達もいないし、おたくの代表的な趣味であるゲームもアニメもネットも飽きましたね。

 

ゲーム・・ドラクエやFFなんかは小中学生の時は大好きで余裕で1日中できたのに、もう面倒という感情しかない。レベル上げや謎解きとかそんなことやるくらいなら現実でお金を稼ぐ努力した方が良いという、大人らしいつまらない考えに至ってしまう。

 

 

アニメ・・1話25分を見続けられない。集中力が無い。面白くなるところまでも見られないなんて昔じゃ考えられなかった。あと無駄に完璧主義なので前の話の内容とか覚えていないと気が済まないし、楽しくないのが自分でもきつい。

 

 

ネット・・普通のネットサーフィンは不毛すぎる。時間を無駄にしてる感が半端ない。SNSは多少楽しいと言えば楽しいが、同じく時間の無駄すぎて、それしかやることの無い自分にも嫌気が差してしまう。私は現実の自分とリンクさせることは無いから多少たくさんいいねもらったり、Twitterの人と仲良くなっても虚しいなとか思ってしまう。ネットだけの付き合いで個人情報も隠したら話せることなんか限られるし、そのうちお別れするから仲良くなる意味なんかあるんだろうか。

 

 

大人になると色んなことに飽きてくる。つまらない人間になったわ。このまま死ぬのかな。

 

 

人間の体験って「擬似体験」と「本質体験」があるんだと思う。私が今考えたものだから正しい言葉の意味なんかは突っ込まないで。

 

 

擬似体験・・SNSでのただの馴れ合い、匿名掲示板、スマホゲーム、ネットサーフィン、ダラダラとテレビ見る…他人の体験をただ見たり、ゲームのちょっとした擬似的な成功体験などの満足感で「なにかをやった気になるもの」、総じてただの暇つぶし

 

 

本質体験・・好きな人と過ごす、旅に出る、勉強する、コンサートに行く、ペットを飼う、大好きな趣味をするなど…擬似体験では得られない本当に楽しいもの、心が本当に満たされるもの

 

 

上の擬似体験は何も思い出にも残らないし、どれだけ下の本質体験ができるかで人生の満足感が変わりそう。その中でも1番は自分が好きな人と過ごすことでしょうね。考えてみたら好きな人と一緒にいられるだけでめちゃくちゃ幸せってすごいことですよね。私が1人で数万、数十万使っても大して楽しくない、幸せにもなれないのに、ただ一緒にいるだけで幸せって(たくさんお金使って色々しないとお嫁さんに飽きられるパターンもあるかもだが)。世の人たちが恋愛至上主義になるのもわかる。

 

 

端的に言って自分のことを本気で思ってくれる人と一緒になれることほど幸せなことって無いと思いますよ。会社でつらいことがあっても家帰ったら、そういう人が自分のことを待っていてくれる、もう私はそれだけで十分です。そういう人のために自分の残りの人生を全て捧げたいんです。

 

 

新しい会社

 

 

新しい会社の人との距離感に戸惑う。「それ初対面の相手に聞くことか?」「それ本人に面と向かって言うことか?」みたいなことを平気で言う人が多い。

 

 

住んでいるところとか大学の専攻とか会社までの通勤時間ならまだしも、一緒に住んでいる家族を聞いてきて「母と2人暮らしです」と答えたら、すかさず「お父さんは?」って聞いてくる。普通に考えて死別したとか離婚した可能性が高いってわかるだろ。どうしてそういうの突っ込むのかなあ。想像力無いの?あんたには聞かれたくないプライベートなこと無いの?とか思ってしまう。そして内心うんざりしたのを隠しながら「いや、離婚したんですよ」と短く答える。気まずい雰囲気になる。なんで嫌なプライベートなこと聞かれた挙句、私が気まずくならなくちゃいけないんだ。むかつくから「医学生の兄もいたんですけど、精神を病んで自殺しました」とも言ってやろうか。雰囲気やばくなりそう←これ面接も含めて2、3回あった

 

 

 

あと育休から復帰してなぜか新入社員の私と一緒に営業研修をしている女にもうんざり。本当は他事業所の人で私が配属されたAという部署(営業では無い)に研修に来た人なのだが(私の会社は研修が盛ん)、お国柄なのか他人に色々と気を遣わない。自分は始業ギリギリに来て、時短なので定時より早く帰るんだが、絶対周りがお仕事でヒーヒー言ってても素知らぬ顔で帰る、そして外国人ということもあって周りも強く言えないタイプだと思う。この人は今月子どもが熱出したとか、自身が体調不良だの言って休みまくり、殆ど会社に来なかったのだが、それを意に介さずに私に「(Aという部署は)あなたに向いてないと思いますよ。女の子がやる仕事だと思います」とか言ってきて呆れた。なんでこんなこと面と向かって言えるんだろう。A部署のトップは男性だし、その他にも男いるのに。あと他の事務色が強い部署はトップ以外みんな女性だから、そういう人に対しても失礼な言葉だと思った。あと自分は会社休みまくるんだから、あなたこそ労働自体に向いてないんじゃないかと言いたくなった。こういう、空気が読めなくて自分のことを棚に上げるタイプは同性からも嫌われるだろう。まあ文化が違うから仕方ないが

 

 

あと会社行事の飲み会が年に2回あるらしい。今年はコロナでやるかどうかわからないけど。これは理由が無いと欠席が無理っぽい(だったら残業代払えってかんじだが)。でも前の会社の「飲み会代金自腹で出席自由」のやつと違い、タダで高いホテルの高級料理を食べられるからまだ良いかも。新入社員の挨拶、他事業所の人への挨拶、周りと話していないと文句言われそうなどがめんどそうなのが難点だが。

 

 

 

前の会社は都合悪いことをみんな言わなかったりして陰湿だったが、逆に今の会社は色々とオープンすぎてつらい。上記のようなプライベートなことを聞いたり、それ本人に言うか?みたいなことをズケズケと言うような風潮はこういう文化から来たものだろう。私は家族のこととか過去のトラウマ的なことから個人的なことを言われたりするのがキツいんだ。そういうのはSNS上だけでrealでは遠慮して欲しいところ。でもせっかくこの会社に入ったし、入ったのは自分なので、合わせるのは会社では無く、私の方だということも知っている。

 

 

 

自身の回避的な性格より、realで個人的にどうでも良いことを聞かれたりすると「どうでもいいだろ、そんなこと。うるさいな」ってキレたくなる。悪態つきたくなる。それで大学の時も前の会社も人間関係が終わった。今の会社もそうやって悪態つきたくなるが、我慢してる。いつか我慢せずに自然体に話して、うまくいくような日が来るのでしょうか